校長日誌

2023/12/22(金)二学期終業式校長あいさつ「わざわざ意識して、新鮮な感動や失敗を重ねて悩みましょう」

 インフルエンザや溶連菌の感染拡大が続いています。年末年始は感染がさらに拡大しないかと心配です。各自、考えられる予防策を続け、感染が広がらないよう協力してください。

 さて、「いつものように所高に通学する」「大会や受験などで、あまり行ったことのない会場に行く」どちらが疲れますか。

 初めての場所に行くためには、何時の電車に乗れば~最近は路線検索で電車に乗る人が増えたというので駅のホームから時刻表が消えています~降り口はどっち、どの辺に立っていればスムーズに降りられるだろう、大げさかもしれませんが、ふだんの通学の何倍も考えることが出てきます。

 いっぽう「いつものように通学」のときはそんなに考えないと思います。見ている番組の天気予報を見たら家を出る、駅に着くといつもの電車が来る、3両目の二つ目のドアから乗ると所沢でちょうど階段近くに止まって…という職人芸のようなことをやっているのに特別疲れないのは、これら一連の作業を意識しないでやっているから。

 こんな感じで行動を刷り込んでしまうと、ルーティンワークとなって意識しないでもできるようになる、というわけです。習慣的な行動には、脳にあまり負荷が掛からない仕組みになっているのです。これはたいへん合理的でもあります。

 話はそれますが、会話のとき、どう発音するかは意識に上らないと思います。たとえば、日本語の「ん」の音はうしろに続く音によって発音が変わるのですが、気にしたことありますか。例えば、「センパイ(先輩)」「サンマイ(三枚)」の「ン」は上下の唇が閉じる音[m]として発音されます(両唇音が「ン」に続くとき)。「カントク(監督)」「アンナイ(案内)」の「ン」は舌先が上の歯茎につく音[n]として発音されます(歯茎音が「ン」に続くとき)。さらに「オンガク(音楽)」「サンカ(参加)」の「ン」は舌の奥が軟口蓋につく音[ŋ]として発音されます(軟口蓋音が「ン」に続くとき)。英語では、唇が閉じる音[m]歯茎につく音[n]など発音を区別しないと意味が通じなくなります。(「sum」(=合計)「sun」(=太陽)「sung」(=歌った)など)

 発話のパターンは話す人によってまったく異なります。話を聞いて0.何秒かで返しますね。ということは聞き終わってから理解を始めるのではないということです。聞く側は、どの瞬間に注意を向け、何を聞き取って推論の手掛かりにしているのでしょうか。物理現象としての音は同じでも、友人が出す音なら気にならないのに、知らない人や嫌いな人が出す音を不快に感じるなど、音の大きさや高さとは別に受け取りかたが異なることもよく経験します。

 高度な情報処理がおこなわれていることは想像がつきますが、わからないことがたくさんあります。たぶん、音を聞いて聴覚だけで判断しているのではなく他の感覚からの情報を統合して、情報処理を行っているのだと思います。情報処理の内容によって脳の受け持つ部分が違うと聞きます。無意識の行動では脳の情報処理が行われにくいと思われます。意識して異なる動きや考えを取り入れると、脳の機能を活性化させ、情報の処理能力を高めることになりそうです。

 ある意味、脳というのは負担が少なくなるように働く「省エネ機械」と言えます。初めての経験には新鮮な驚きを伴います。失敗して悩むことも多いです。しかし、驚きが薄れ「普通の」出来事になれば、改めて意識することもなくなり、ルーティンワークと同じになってしまいます。筋肉と同じで使われる部分は強化されるけれど、使われない部分は淘汰されるといいます。

 若い頃の記憶は比較的忘れないで覚えていられるのに、最近は覚えられないし、忘れるのが早い感じがします。年のせいだと思っていましたが、研究によると記憶能力そのものは75歳くらいまでは落ちないのだそうです。経験を重ねることで新しい経験や新鮮な感動が相対的に少なくなり、ルーティンワーク化することや、「年を取ると忘れやすい」と刷り込まれることで記憶しようという「気持ち」のほうが萎えて、一気に「記憶力」が失われるということだそうです。

 脳は省エネに動くとなれば、「いつもと同じ」をやめ、ルーティンにしないよう意識的に脳に負荷をかけてやる必要があります。負荷を一度にかけると壊れてしまうので、継続してちょっと強い負荷をかけ続けることです。「じぶんにはできない」というくだらない先入観を捨てて、初めての経験、新鮮な感動や失敗を重ねて悩むことです。

 それではよいお年をお迎えください。