校長日誌

君が見ている景色と私が見ている景色(全日制:始業式)

おはようございます!

長かった夏休みが明け、新たな学期の扉が開きました。皆さんの元気な姿を見ることができ、大変嬉しく思います。

さて、仲間との議論や家族との会話の中で、「なぜ、そう考えるのだろう?」「私の意見の方が、どう考えても合理的じゃないか!」と、考えがぶつかり、もどかしい思いをした経験はありますか?

私たちは誰でも、自分の経験や知識に基づいた考え、いわば譲れない「正しさ」を持っています。そして、それは自分自身の視点から見れば、疑いようもなく「真実」なのです。今日は、そんな「正しさ」の正体について、ある町の物語を通して考えてみたいと思います。

駅前に、古くからの商店街が広がる町がありました。 ある日、その駅前を再開発し、光あふれる大きな商業ビルを建てる、という計画が持ち上がります。町の住民説明会では、意見が真っ二つに割れました。

 一人は、その商店街で何代も続くお店の主人です。彼は、こみ上げる想いを込めて、力強く訴えました。 「この商店街の路地に響く『こんにちは』という声、人の顔が見える温かい商売こそが、この町の魂だ。再開発でその全てが失われるのは耐えられない。我々には、この大切な歴史とコミュニティを未来へ守り伝えていく責任がある!」 彼にとって、先祖から受け継いできた町の姿を守り抜くことは、何にも代えがたい「正義」でした。

一方、その主人の孫娘もそこに住んでいました。若い子育て世代です。彼女も発言しました。 「新しいビルができれば、町はもっと便利になり、雇用も生まれる。ベビーカーが楽に行き交える歩道、子どもたちが安心して遊べる広場もできる。未来のために、私たちは変化という希望を受け入れるべきです!」 彼女にとって、町の未来の発展と、そこに住む人々の利便性を追求することは、輝かしい「正義」でした。

住民説明会は紛糾します。 「町の歴史をなんだと思っているんだ!」「未来の子どもたちのことを考えてください!」 お互いに「この町を良くしたい」という純粋な想いを持っているのに、その声はすれ違うばかりです。

 では、皆さんに伺います。この二人のうち、どちらかが間違っているのでしょうか? …そうだよね。誰も間違ってはいません。二人とも、自分が愛する町への偽わりのない「真実」を語っているだけなのです。

お店の主人は、「過去から現在へと続く、町の歴史と人のつながり」という座標に立って、そこから見える景色を見ています。 一方、娘は、「現在から未来へと続く、町の可能性と発展」という座標に立って、そこから見える景色を見ています。

ただ、二人が立つ「場所」、大切にしている「時間軸」が違い、そこから見える「景色」が違っているだけです。

私たちの学校生活も、これに似ています。 あなたたちがこれまで見てきた風景、読んできた物語、部活動で流した汗や涙。そのすべてがあなた自身の特別な「場所」を創り上げています。ですから、意見が違うのは、当然なんです。

本当に大切なのは、意見が衝突したその時に一度立ち止まり、「想像力」を働かせることです。

「この人は、どんな場所に立ち、どんな景色を見ているんだろう?」

相手の背景にある物語へと思いを馳せてみることです。そして、「なるほど、君からはそういう景色が見えているんだね」と、まずは相手が見ている景色そのものに敬意を払うこと。そこから、本当の「対話」が始まります。

自分の正しさだけをぶつけ合うのは、単なる「衝突」です。 しかし、互いの景色を想像し、尊重し合えた時、その衝突は「創造」へと変わります。「町の歴史の良さを活かしながら、新しい世代も惹きつけるにはどうすればいいか?」といった、誰も思いつかなかった第三の道が拓けます。

 意見が違うことは、ダメなことではない。それは、新たな世界への扉です。

この2学期、仲間と何かを創り上げる多くの機会があります。意見がまとまらない時、方針がぶつかった時こそ、今日の話を思い出してください。「相手はどんな景色を見ているんだろう?」――この問いかけは、あなたのクラスを、そしてあなた自身を、より高いレベルへと引き上げてくれるはずです。

対話に満ちた創造的な2学期が始まります。あなたの活躍を心から期待しています。