校長日誌

2025/3/8(土)【全日制卒業式】校長式辞「不完全だからこそ」

 3月は「やよい」です。「イヤオイ」が転じたものです。「イヤ(弥)オイ(生)」とは、「ますます生まれ、ますます茂る」時期を意味します。この場に集う、秘めた思いや力を蓄えつつ、大きく飛躍しようとしている345名の卒業生の皆さんの姿そのものだと感じています。このよき日に、同窓会長様、PTA会長様、平素から本校にお心を寄せていただいているご来賓の方々をはじめ、みなさまとともに祝福できることを喜びたいと思います。
 卒業生の皆さん、ご家族・ご親族の皆様、ご卒業おめでとうございます。卒業される皆さんはもちろん、これまで卒業生を支えてこられたご家族・ご親族の皆様も、たいへんお喜びのことと存じます。
 小学校の修学旅行で見た人も多いと思いますが、日光東照宮の陽明門は、12本ある柱のうちの1本だけ彫刻の模様が逆向きになっている逆さ柱となっていることで知られています。陽明門の12本の柱には胡粉(ごふん/貝殻をすりつぶしてつくった白色の顔料)が塗られたグリ紋と呼ばれる渦巻きの地紋が彫られています。しかし、陽明門をくぐり終わるあたりの内側二本目の柱だけ、他の柱と逆に下向きの文様になっています。
 中国の『史記』には、「日(ひ)中(ちゅう)すれば則ち移り、月満つれば則ち虧(か)く。」(蔡沢(さいたく)伝)とあります。太陽は中天に昇りつめれば傾き始め、月が満月になると次第に欠けて行くように、人間も栄華をきわめると衰えはじめる、建物であれば完成と同時に崩壊が始まるというわけです。手掛けた陽明門の長寿を願う気持ちです。
 県内にも同様の思想で建てられたと思われる建物があります。江戸時代に創建された熊谷市の諏訪神社の本殿を見ると4本ある本柱のうちの1本だけ彫刻のつくりが異なっていることをものつくり大学の学生さんが発見したと報道されました。
 建物を未完成のまま置くという考えはかなり浸透していたものと考えられます。兼好法師の『徒然草』に「すべて、何も皆、事のとゝのほりたるは、あしき事なり。し残したるをさて打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。内裏(だいり)造らるゝにも、必ず、作り果はてぬ所を残す事なり」(82段)という一節があります。完璧に仕上げるのはよくない。やり残したところをそのままにしておいてあるのは味わい深く、その生命が将来にまで伸びてゆくやり方なのだ。内裏(だいり)を造営する時も、必ず造り残しをするものだと付け加え、未完成の思想とともに未完成であることに美を感じてもいたのでしょう。
 荘厳な建築で知られるスペインのサグラダファミリアにもそのような発想があったのかもしれません。ちょうど、原子が一つ二つ電子を失ったり得たりして不安定な状態になるから分子となるように、未完成・不安定だからこそエネルギーが生じるのかもしれません。
 茶道の本質は「不完全ということの崇拝」だと、フェノロサに学び東京美術学校設立に貢献した思想家の岡倉天心(1863~1913)は言っています。物事には完全などということはなく、不完全であるがゆえに社会との調和を図ろうとする慎み深さや謙虚さがにじみ出てくるというのです。
 不完全だからこそ、変化し進歩していけるのです。欠点の中に魅力を見出し、平凡で見落としがちな中に宝を見出す力を身につけてほしいものです。タイパ・利益第一という気持ちは多かれ少なかれあるものですが、それが世の中の分断を招くこともご案内の通りです。他者と他者が共存し結びつき合えるのは、互いに欠落があればこそだと言えます。不完全な点は、助けてもらいましょう。誰にも不完全な点があるから、自分の得意なところは大いに使ってもらいましょう。それを喜びにできる関係でありたいものです。
 保護者のみなさまには本日のお慶びとともに、これまで本校にお寄せいただいた御厚情に感謝申し上げます。今後も、時代に立ち向かい、自ら考えて行動できる人物を育てるという期待に応え、教職員一同、卒業生や生徒にとって心のよりどころと誇れる学校づくりに努めてまいります。
 高校77期生の前途が健やかで幸多きことをお祈りし式辞といたします。

  令和7年3月8日              埼玉県立所沢高等学校長 内田 正俊