2023/8/25(金) 2学期始業式・校長あいさつ「一つのことばによりかかるのをやめよう」
「炎暑」(真夏の焼けつくような暑さ)どころか命にかかわる危険な暑さが続く夏となりました。この始業式も体育館で一堂に会して行う予定でいましたが、みなさんの健康を考え、オンラインでの始業式としました。
この夏休み中、フォーク部の2つのグループが埼玉県の決勝大会を経て全国高等学校軽音楽コンテストに出場。報道などでも取り上げられましたが、野球部が創部100周年の記念式典を行いました。また、ニュージーランド研修など、所高生は日本列島だけでなく地球上を所狭しと活動しました。
8月には九州や西日本などで台風や大雨で家を失う人や命を落とす人が出てしまいました。「大切な自分や他人のいのちをどう守るか」を考える機会にしてほしいと思います。まずは被害にあった人々が一日も早く生活を立て直すことができるよう祈りたいと思います。
きょうは、「一つのことばによりかかるのはやめよう」という話をします。
それまでなかったものが意識の対象に加わることを気づきといいます。何かに気づいた、違うと感じたということは、世界の一つの断片を他と異なるものとして認識したということです。そのものやことをとらえるためのことばが作られたということです。「雑草」と言われ見えなかったものが、一つの草に名前(ことば)があることに気づくと、他と違う、草そのものの姿を見ることができます。
ことばが存在しない場合、そのものが目に入りません。存在しないのと同じです。考えるためにもことばが必要です。世界をことばで区切ることで一つ一つの要素が初めて存在できるようになります。世界の要素が先に存在して、そこに名前を当てているのではなく、世界をことばで区切ることで一つ一つの要素が初めて存在できるようになるということです。
そしてものの見方は、用いる言語によって決まります。つまり、言語によって枠がはめられるということです。伝統的な日本語では、やまびことこだま、霞と霧など、現代からは同じに見えるものを別のものとして区別しました。
新しいものが出現したときに、それまであったものとは違うことを示すため新しい名がつけられ、ことばが与えられます。もともと電話と言っていたものが自由に持ち歩くことができるようになったとき、それまでなかった持ち歩くことができる・できないという切り口から携帯電話・固定電話という新しい名前ができました。
日本語でワンワンと鳴く動物を「イヌ」といいます。英語でドッグ(dog)はバウバウ(bow-wow)と鳴きますし、ドイツ語ではフント(Hund)がハフハフ(haff-haff)と鳴きます。スペイン語ではペロ(perro)がジャウジャウ(jau-jau)と鳴きます。
こんな感じで「イヌ」を表すことばとその動物には、言語学的に特別な理由があるわけではありません。この動物を指す場合に「い-ぬ」という2つの音がこの順番で並ばなければならない理由はないということです。
近代言語学の父と言われるスイスのフェルディナン・ド・ソシュール(Ferdinand de Saussure・1857~1913)は、このように、ことばとそれを表す対象には必然的なつながりがないことを「ことばの恣意性」と呼びました。
コミュニケーションしようとする相手が自分と異なる言語話者であれば、うまくいかないことがあると予想がつきますが、ことばに恣意性があるとなれば、日本に暮らして日本語を使う人どうしでも同じことが起こるかもしれないということです。
SNSなどで、自分が使ったことばを相手が自分の考えていたように受け取られず、炎上したり、行き違ったり、人間関係にひびが入ったりするということをよく聞きます。
「理解してもらえた」「コミュニケーションが取れている」と思っても、その後の反応が自分の期待していたものと違う。周りと考え方がどうも違う。時に疎外感を感じることもあるかもしれません。地域に根付くことばの違い、育ってきた時代や生活体験の違い、どのようなことを常識とみるか、環境の違いなど、想像もできないようなところで誤解が発生しているかもしれません。
単語一つとってもそれが何を指すかはことばを発する人によって変わります。異文化ギャップは、日本にいて日本語を使いなれていても大なり小なり存在します。
一つのことばによりかからないことを勧めたいと思います。
「やばい美しさ」ってどういうこと?「普通においしい」ってどんな味?
誰もが使うことばをいったん置いて、自分の思いにふさわしい、ぴたりと合うことばを見つけることを勧めたいと思います。
2学期、3年生は具体的な進路実現の時が迫ってきます。最後まで全力で頑張ってください。1・2年生にとっても勉強や部活動に大いに飛躍する学期です。期待しています。