校長日誌

2025/1/8(水)【3学期始業式あいさつ】「共通通貨」を求めよ

 新年おめでとうございます。令和7年が始まりました。ことしは戦後80年。昨年9月の修学旅行で認識を新たにした激しい沖縄戦から80年が経過したことになります。昨年日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)がノーベル平和賞を受けました。受賞の席でも戦争体験者や被爆者の方々が高齢となり、若い世代による継承の意義が強調されましたが、未だ収束の見えぬ国際情勢の現状があります。一昨年9月の修学旅行では避難所となった旧神戸市立二葉小学校で震災体験学習を行いましたが、1月17日で阪神淡路大震災から30年になります。

 この冬休み、フォーク部が全国高等学校軽音楽発表会への進出を決めたということで、3月に福岡県久留米市で大会が行われるそうです。後日壮行会が開かれるのだと思いますが、まずはお知らせしておきます。おめでとうございます。活躍を期待します。

 3学期の始めにあたり、「共通通貨を求めよ」という話をしようと思います。

 先日、新聞の「人生相談」欄にこんな記事がありました。相談者は事務職の女性です。書類に誤りを見つけたので修正してほしいというと「大きな影響はない。いちいち直していたら効率が下がる」と言われ、自分の仕事の意味を否定され空しい、という相談です。回答者は「仕事における効率性と正しさとのバランスをどうとるか」は、企業内でもよくみられる対立である。価値観が違う集団が折り合いをつけていくためには両者にとって利害が一致する「共通通貨」を見つけ、最大化する必要がある、と回答しています。(讀賣新聞12月17日「人生案内」)

 営業担当者は価格や納期など客の要求に応えたい。企画デザイン担当者は経費や時間をかけて質の高いデザインをつくりたい。法務担当者はコンプライアンスに不備があっては困る。会計担当者は必要な経費を確保するためには各方面との調整がいるしそのための手続きもいる。無駄な支出はカットしたい。客を満足させたい思いが対立を生みます。「最大の共通通貨」をどのように求めるか。この問いに正解はなさそうです。

 ここ数年の入試問題を見ていると、知識があれば解答できるような問題が減り、「『共通通貨』を求めよ」という問題が増えています。

 かつては、定型的な知識や解き方をたくさん持っていることが評価されてきました。これまでは、世の中の変化が緩やかだったので、ストックしてきた経験や知識を活かすことが解決への近道でした。さまざまな情報にアクセスすることが簡単ではなかったため、経験豊富でさまざまな知識を持っている人が重宝されました。

 検索が手軽になり、AIが入ってくるとストックされた知識そのものの値打ちが下がるのが速くなります。新モデルの製品が発表されるとこれまでのモデルが安くなるように。世の中の変化が激しくなると、「やったことがある(経験)」の価値も大きく下がります。

 いまは、自分とは価値観の異なる人たちとコミュニケーションを図り納得感のあるかたちで伝える力や、答えのない問いに協働して取り組む姿勢が重視されていることが見て取れます。共通テストもマーク式ながら思考力や表現力、多様性や協働性を測ろうと工夫していることがわかります。

  一つの例です。正月恒例の箱根駅伝では「外国人留学生については、エントリーされる16名のうち2名まで、大会当日出場する10名のうち1名まで起用できる」というルールがあるそうです。

 外国人留学生とはどういう人を指すのでしょうか? そもそも日本人とはどういう人を指すのでしょうか? 枠組みに入るのは誰で、誰が排除されるのでしょうか。

 どのように枠組みを設定するかによって、まったく異なる結論が導かれることが予想できます。つまり論理そのものがどんな場合にも通用する普遍的なものでないことをおさえておきたいと思います。

 「論理」が普遍的なものでない以上、論理を組み立てる力、論理的に考える力もまた普遍的ではないことになります。

 筋道が通っているように見えても、「自分に都合のよいロジックを組んでいないか?」「事実と意見、目的と手段などを区別して考えているか?」など、前提そのものを疑い、本質を吟味する必要があります。

 総合的な探究の時間発表会などを見ると、所高生の強みは正解のないことをおもしろいと思える「沸点の低さ」「フットワークの軽さ」「協力を引きつけるフックの力」とプッシュ力にあると考えます。「共通通貨を求めよ」という入試も含め、風は所高生に吹いています。

 3学期も期待しています。