日誌

地学部 活動記録

今年の所高祭で行うこと

こんにちは!地学部です。今年の所高祭のテーマはタイムアドベンチャーです。このテーマに合わせた内容の展示物を、みんなで協力して作りました。また、プラネタリウムの上映もみんなで練習しました。

・夏の合宿レポート

・地震レポート

・新生代から古生代までの展示物

・プラネタリウム(1日目:11時、12時、13時、14時、15時 2日目:10時、11時、12時、13時、14時)

今年の所高祭では以上の内容を行います。3号館4階の地学室で行っているので、是非来てください!

秩父へ合宿に行ってきました(07/30~08/01)

こんにちは。地学部です。現在、新たに1年生の部員一人を加えて活動しています。

今回は7月30日から8月1日に秩父で夏合宿を行いました。今年も民宿きりしまさんにお世話になりました。

1日目は秩父に向かい、天体観測を23時頃まで行いました。1年生が主体となり行ったのはこの日が初めてでしたが、大きなトラブルもなく、無事に終えることができました。

2日目では、昼ごろに埼玉県立自然の博物館に行き、長瀞の岩畳を観察しました。夕食にはバーベキューを食べ、その後天体観測に向かいました。この日は前日に比べ晴れていたので、多くの星を観測することができました。

秋に天体観測を予定しているので、合宿での経験を活かしていきます。

日曜地学ハイキングに参加しました

 こんにちは。地学部です。今年度は3人の1年生が入ってきました。その1年生の新入生歓迎会もかねて、4月21日に行われた日曜地学ハイキングに参加しました。

 今回は入間川を飯能大橋付近から上流に向かって地層観察をしました。地層を構成している岩石の種類を確認することで、かつてこの地で何が起きたのかを考えることができました。

下の写真の白い土の部分は矢颪テフラという約250年前の火山灰層です。なんと、この層は宇宙からも白く見えます。飯能は山地と平野の間にあたりますが、この地層は関東平野の土台となっているものの1つだそうです。この層は入間川が洪水するたびに水によって削られていて、あと数十年たったらこの層が消えてしまいます。今のうちに見ておきましょう。

 

 この写真に写っている岩石は枕状溶岩といいます。この岩石は山地を作っている地層の中に挟まれています。今から2億5000万年ほど前の海底火山活動によってマグマが噴出したときにできたものです。外側は火山岩のように結晶が小さく、内側は深成岩のように結晶が大きく育つという特徴があります。

初投稿

 あけましておめでとうございます。興奮・ヤッター!

最近は午後8時くらいに南の空に木星とオリオン座を見ることができます。雪

他にも頭上を見上げると火星も見えます。

今年も元気に活動していくのでよろしくお願いします!!

 

夏合宿の記録^-^

8月17日から19日に秩父で夏合宿を行いました!

コロナのため3年ぶりの合宿となりました。

今回は民宿きりしまさんにお世話になりました。

自然が沢山ありとても綺麗なところでした。

1日目は夕食にバーベキューを楽しんだ後、その道のプロの方に今回見える星座や流れ星についての説明をしてもらいました。

2日目は博物館に行きました。外が暗くなって天体観測の準備を始めてそこから深夜1時くらいまでやりました。こんなにやったのは初めての体験だったよ。

この合宿で習ったことをプラネタリウムや天体観測に生かします。

多摩六都科学館 プラネタリウム見学

10月29日に多摩六都科学館へ行きました!!!

今回の目的は、プラネタリウムの見学と、自分たちのプラネタリウムの解説の向上です。

土曜授業終わり、15時に各自で多摩六都科学館前へ集合し、プラネタリウム開始時間まで各々で自由に過ごしました!

 

プラネタリウムでは「食にまつわる話-11月8日は皆既月食ー」を見ました!

主な内容として月食の仕組みの話や、その日の星空の解説などがありました。

そしてプラネタリウムが終わった後、解説員の方にプラネタリウムの解説のコツを教えていただきました!!

例えば星を指すときのスピードの長さ、見やすい場所やお客さんの気の引き方などです。

その他にも、「小さい子がいたら話しかけたほうがいい!」「電車のアナウンスを聞いて学ぼう!」などプロ意識の高さに圧巻!!!!!!!!!でした!

このことを生かして自分たちのプラネタリウムの解説を向上させていきます!

文化祭の記録

文化祭は結果として、とても地学部のためになった文化祭でした。

今年は久しぶりにロータリー看板の作成を行いました^-^

 

準備期間中は、文化祭に向けて順調に進めていくことができましたが、最終的に、目標である立体地図を作ることができませんでした。来年こそは時間内に作れるようにしたいです。

当日は、恐竜や惑星、化石などの説明、プラネタリウムの上映、部誌の配布などを行いました。1日目は何事もなく、仕事を全うすることができましたが、2日目は屋上に部外者を挙げてしまうというミスをしてしまいました。来年はこの失敗から学んで活かしていけるようにしたいです

このように、いろいろあった文化祭ですが、たくさんの人も来てくださり大成功だったといえるでしょう。来年は先輩が教えてくださったことをもとに、地学部がもっと栄えるように後輩として跡を継いでいきたいです。

 

 

 

 

 

 

 

所沢高校食堂建て替えに伴う地盤調査

おしらせ

  • 当記事では諸説ある(未確定な)内容について言及しておりますが、今回は5万分の1地質図「青梅」(2007)を参考にしました。
  • この記事では専門的な用語が出現します。その説明はこのページの一番下に注釈として簡単にまとめてあります。

2020年11月9~13日に、本校の希望の鐘(合宿所)前で地質調査が行われました。

(職人の名前、電話番号は消してあります)


はじめに―本校の食堂

 なぜ地質調査が行われたかというのはタイトルの通りですが、詳しく言うと、現在の食堂(の建物)は耐震基準を満たしていないということで、建て替えることになったようです。この建物は1970年完成で、今まで1度も耐震補強はされていません。ちなみに1970年の出来事は、大阪万博や三島事件、ビートルズの解散だそうです。

↑現在の食堂。

 そんな食堂ですが、厳密にいうと建て替えというより移設するようです。ではどこに建てるのかというと、それがこの調査現場です。かつて講堂があった場所には現在、希望の広場と称する人工芝区域がありますが、それを半分はがし、そこに建てるようです。「わざわざ食堂を移設しなくても、壊した場所に建てるだけでいいじゃないか」という意見もあるかもしれませんが、この食堂は定時制の生徒が給食をとるのに使っています。壊してから完成するまでの間食べる場所がなくなってしまうため、移設となったのかもしれません。人工芝もかなりへたってきているとはいえ、まだできて3年ほどしか経過していませんが・・・。
 食堂を解体した跡地をどうするのかは不明です。

↑校内配置図。

↑現在の状態。オレンジ色の柵の所が調査場所。

 

↑在りし日の講堂。2016年合格発表の時の様子(発表を見に来た人がたくさん写っていたため、編集)

 一方、3号館は1962年、部室棟は1966年、体育館は1968年と、こちらもだいぶ年季が入っていますが、建て替えの予定はありません。


地質調査―ボーリング

 地質調査にはいろいろな方法がありますが、今回はボーリング調査が行われました。ボーリング調査(もしくは標準貫入試験)というのは、地盤の固さを求めつつ地中の土砂を採取し、地盤改良の必要性を調べるものです。ちなみに、重いボールを投げて10本のピンに当てるゲームは「ボウリング」です。
 この調査は、既定の重さの筒を打ち込み、ある深さに到達するまでの打ち込んだ回数を計測するものです。この回数はN値と呼ばれ、ふつう深さ1mごとに計測します。N値が大きいほど固い地盤を意味し、N値が50以上、5m以上連続する層になるとその地層は「支持層」と呼ばれ、マンション等大きな建築物の建設ではこの層を支持地盤とします。なお、一軒家ではN値は5以上あればよいようです。
 ちなみに、ボーリング調査は費用がかなりかかるので、一軒家を建てる際は普通行われません。代わりに、より簡便なスウェーデン式サウンディング試験などを行いますが、これは鉄の棒を地面にねじこむもので、地下の土砂は採取できません。

↑ボーリングマシーンの全景。

↑ボーリング調査の穴。当然既に埋められているので、現在調査箇所を見てもなにもありません。


ボーリング試料

 今回は当部の顧問が業者と交渉して、試料を得ることができました。試料は1mごとに計18本あります。これらは地学室の富士山の模型付近に並べてありますので、興味のある人は実際にご覧になるといいと思います。

↑ボーリング試料。この写真では、左上→右上→左下→右下 の順に地下1mから18mまで1mごとに並んでいる。

 これを見ると、1m付近の表層では真っ黒です。これは、黒土、腐植土、黒ボク土などと呼ばれ、腐植(後述)を20%以上含むものを言い、今から1万年ほど前の縄文時代から現在にかけて堆積したものです。黒土は当地だけでなく、本校周辺の広い範囲で表層として分布していて、特別なものではありません。皆さんの家の庭の土も黒いと思いますが、まさにそれです。
 黒土の成り立ちは、この層(腐植土層)が堆積した7~1万年前は最終氷期以後の温暖な気候で、植物に適した環境でした。そのため当時の表層であるローム層(後述)の上に植物が育つようになります。やがてそれは枯れて分解され「腐植」となり、それにまた火山灰などが堆積することでできます。黒土が黒いのは、この腐植によるものです。腐植が多いほど土は黒くなり、養分も多くなります。そんなわけで黒土は農作物の栽培に向きますが、柔らかく地盤沈下しやすく軟弱なため、建物の基礎としての地盤には向きません。

 3m以降では、だんだんと色が明るくなっていくのが分かります。これは、ローム(ここでは関東ローム)または赤土と呼ばれ、シルト、粘土の含有割合が25~40%程度の土を指します。この層(関東ローム層)は、富士、箱根、浅間、赤城などの関東周辺の火山のテフラが堆積したもので、堆積年代が古い順に、多摩ローム層、下末吉ローム層、武蔵野ローム層、立川ローム層の大きく4つに分けられます。多摩ローム層は70~12.5万年前、下末吉ローム層は12.5~7万年前、武蔵野ローム層は7~4万年前、立川ローム層は4~1.2万年前に堆積したと考えられています。なぜこの4層に区分しているかというと、当初各ローム間には数万年単位で時間間隙がある、つまり不整合な関係と考えられていたためです。のちに各ローム層は基本的に整合関係だとされました。このため各ローム層の境界に意味はありません。
 関東ローム層は、火山が噴火しそのテフラが直接堆積するか、別の場所に堆積したものが風で吹き飛ばされてそれが堆積(二次堆積物)するかしてできます。このため、火山が噴火していない時でもわずかに―つまり現在でも―堆積し続けています。ローム層が赤茶色っぽいのは、ロームに含まれる鉄分が風化により酸化したためです。ロームは養分が少ないため農作物の栽培には不向きで、一般的に嫌われますが、強度はやや高いため一軒家ではこれが支持地盤になります。逆に、ローム層がすぐ出てこない場合は、一軒家であっても出てくる深さまで地盤改良をする必要があります。

 11m以降では礫が見られるようになります。これは所沢層という礫層であり、14~13.5万年前に堆積したと考えられています。この礫が河原の石と考えると、所沢層はかつての多摩川の跡でしょう。
 礫層はN値が50を超える固い地盤が多く、これが支持層になるというわけです。

 最後の18mでは、もはや岩をただ円柱形にくりぬいただけのように見えます。これも上と同じ礫層と思われますが、今までよりさらに固くなっているため、これ以上の掘削は行わなかったのでしょう。

 どのような建物を建てるのか分からないため、食堂を建設する際どの深さまで地盤改良をするのかは不明です。


本校グラウンド裏の崖の地層

 話は変わりますが、本校グラウンドの裏には崖があります(地形図)。なお、ここは近くの永源寺という寺の敷地であり、本校のものではありません。

 5万分の1地質図「青梅」(JPEG4.2MB)を見ると、ちょうどこの崖で所沢層が切れています。先ほどの試料から、所沢層は崖の上の地表の地下11m以降に広がっていると分かりました。この崖は高さ12.6mであり、崖下の地面~地面から1.6m付近で所沢層が観察できます。

 地質図の説明書(PDF45MB)によれば所沢層の上位には下末吉ローム層があるようです。その上に武蔵野ローム層、立川ローム層、腐植土層と続くわけですが、やはり観察できません。さらに、武蔵野ローム層は鍵層の東京軽石層を挟んでいるものの、これは崖下の地表より8.7m付近と、崖を登らねばならないため観察できません。

↑本校グラウンド南西方向下にある崖。左端に見えるのが永源寺。

↑ 崖の模式的な断面図。赤線が東京軽石層。各層の厚さは考慮していない。

 沖積面、下末吉面など武蔵野台地の河岸段丘関連の話は「秋晴れの狭山丘陵周辺を巡る」という当部の記事と一部ダブっていますので、そちらをご参照ください。


まとめ

 崖を観察してみると、ボーリング調査の試料通り、所沢層がありました。ボーリング調査の方は、そのうち県に柱状図と正式な試料が納められるようなので、機会があれば見たいと思います。

 なお、本校ではかつて別件でボーリング調査をしたらしく、その柱状図が公開されています(PDF291KB)。詳細な情報はすべて消されているため、正確な位置等詳しくはよく分かりませんが、柱状図自体は完全なデータなので、興味があれば今回の試料と比べてみてください。


注釈

  • 最終氷期・・・現在のところ最後の氷河期で、一般で言ういわゆる「氷河期」。
  • 地盤改良・・・杭を打つ、固い土壌に置き換えるなど様々な方法があるが、一般的にそれなりに費用がかかる。
  • 多摩ローム層・・・本来はさらに多摩Ⅰ、多摩Ⅱに細分化される。
  • 下末吉・・・神奈川県横浜市鶴見区の町名。
  • テフラ・・・溶岩以外の火山噴出物、具体的には火山灰など。
  • ローム・・・ロームの定義はシルト+粘土の含有割合だけなので、堆積物がテフラかどうかは関係ない。関東ローム層の堆積物がたまたまテフラであったというだけ。
  • シルト・・・砂より小さく粘土より粗いもの。日本語では「沈泥」。
  • 地質図・・・地質の分布を表したもの。なお、「青梅」の範囲の地下にはほぼローム層があり、地質図にそれを表すと、ローム層だらけの図になるので、それは省略しより下位の地層が表現されている。
  • 東京軽石層・・・箱根東京テフラ。箱根火山の由来で、噴出は 6~6.5 万年前。

秋晴れの狭山丘陵周辺を巡る

 みなさんこんにちは、地学部です。所沢高校は現在学年末テスト期間で、生徒は勉強に励んでいます。修学旅行や文化祭は残念ながら中止となってしまいましたが、また部活動が再開できることを願って、およそ3か月前の記事を書きたいと思います。(これまで大変忙しく、公開が遅れてしまいました。)そのため、記事は当時の気分のまま綴りましたのでそこも楽しんで読み進めていただければと思います!

 さて、地学部では2020年11月14日の土曜日に狭山丘陵生きものふれあいの里センター(埼玉県所沢市荒幡782、通称:いきふれ)主催で行われた自然観察会に参加してまいりました。狭山丘陵についての学習を行いましたので、写真を交えつつ、ご覧の皆さんにもご説明できればと思います。


<そもそも狭山丘陵とは>

 「となりのトトロ」のモデルになったといわれている狭山丘陵ですが、そもそもどのようなものなのでしょうか。狭山丘陵は埼玉県入間市、所沢市、東京都の一部にまたがる東西に10km、南北に4kmほどの卵型をした丘陵です。70万年~60万年くらい前には、埼玉県入間市や飯能市にまたがる加治丘陵や、東京都多摩地方に広がる多摩丘陵と地続きで繋がっていたのではないかと考えられています。狭山丘陵は、武蔵野台地という荒川と多摩川の間に挟まれた関東地方の部分の、低地より一段高くなったところに位置しています。生きものや自然が施設や団体によって保護されており、休日にはしばしばイベントなども行われています。また、開発や住宅地化が進んでいる現在、貴重な緑が残っているここは住民の憩いの場といっても過言ではないでしょう。

【言葉】

山地・・・数百万年前に隆起した。丘陵・・・数十万年前の地形で少しずつ隆起。台地・・・十数万年前~三万年前くらいから形成された。低地・・・一万年前くらいから形成された。


<狭山丘陵の地層>

 今回は「丘陵・台地とトトロの森」というタイトルの講座で、さいたま緑の森博物館(埼玉県入間市宮寺889-1)の案内所から、所沢高校で去年まで地学基礎の先生をしていた、正田浩司先生の解説で狭山丘陵を歩きます。

芋窪礫層

狭山丘陵は、頂上が富士山のように尖っておらず、比較的なだらかなのが特徴です。その特徴を生み出しているのが、芋窪礫層(いもくぼれきそう)と呼ばれる地層です。70万年~60万年前くらいに堆積したとみられていて、粘土質のようです。写真の地点では、およそ10mほどの厚さがあり、火山灰質の砂や泥も混じっています。

 

ニセ三つ組軽石層

火山が噴火して空から降ってきた軽石で出来た層です。火山灰などと一緒に噴出してきた軽石の数mmのものが堆積したそうです。他には三つ組軽石層というの40万年くらい前の層があります。礫の地層から地層の年代は把握できないため、このような軽石などの地層で時代が判断できるということです。新型コロナウイルスの感染防止のため観衆の人数を20人に制限していたため、写真も撮りやすかったです。一行は狭山丘陵を形成している地層を眺めつつ、稜線沿いを東進して、所沢市の「とことこ景観賞」にも入っている比良の丘を目指していきます。


<比良の丘>

しばらく上り坂を歩いていくと急に開けて、一面の青空が顔を出します。ここが比良の丘で、標高は155mです。70万年~60万年くらい前、多摩丘陵や加治丘陵と繋がっていた狭山丘陵は、芋窪礫層が堆積し、ほぼ平坦になっていました。その後、浸食で周囲が削られたため、狭山丘陵は現在の部分を残して孤立した状態になっています。この日は暖かく雲一つない秋晴れで、気分は最高でした。普段、ストレスのたまる学習の疲れや自分の想像通りに上手くいかない現実、日頃の鬱憤は吹き抜けていく風によって青い空の彼方へ消え去っていきそうです。丘陵の中には沢が見られたりするのですが、てっぺんには芋窪礫層が平らに溜まっているので先述のように頂上は平らに見えます。一時期は墓地になるという計画があったそうですが、所沢市によって一部は残され公園のような形で現在に至っているということです。ここでいったん休憩となり、オオタカのような鳥の姿も見られました。

ここから南東方向にカメラを向けると、早稲田大学所沢キャンパス(埼玉県所沢市三ケ島2丁目579-15)の敷地が見えます。早稲田大学は、所沢高校の卒業生の方が進学している大学のひとつでもあります。そして、写真では見ませんが砂川堀の源流にもなっている堂入池(どういりのいけ)があります。砂川堀はここを起点として所沢市の小手指駅の近くを通過、北上し、三芳町、ふじみ野市、富士見市を通って新河岸川に入り、やがて荒川に合流します。

晩秋のカマキリさん、こんにちは。今日は暖かくていい天気ですね。生きものたちも冬の準備を着々と始めているようです。私たちもテストの準備を始めなくては...。

比良の丘を出た一行は二者面談や幼稚園の頃の話に花を咲かせつつ、参加者の方との親睦を深めつつ(ソーシャルディスタンスを意識しながら)次の目的地に向かいます。


<丘陵周辺の施設>

金仙寺(埼玉県所沢市堀之内343)は平安時代に創建されたお寺です。大きな枝垂桜がシンボルで、春には美しい花を咲かせ、やって来た人を癒しています。この周辺では三ヶ島家、中家という2つの大きな家系が強い権力を握っていたということです。ここでひと休みしていると、お寺の静寂な環境とポクポクとした木魚の音が一行を包みます。

次にやってきたのは、中氷川神社(埼玉県所沢市三ケ島5-1691-1)です。境内にはご神木のけやきの木が堂々と鎮座しています。日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折に立ち寄って大己貴命と少彦名命の両神を祀った、と伝えられています。室町時代までは「中宮」、江戸時代は境内が細長いことから「長宮明神社」と呼ばれました。所沢出身の女流歌人、三ヶ島葭子(みかじまよしこ)の歌の碑も置かれています。三ヶ島葭子については、付近にある三ヶ島まちづくりセンターで詳しく知ることができるようです。

春の雨 けぶる欅の梢より をりをり露の かがやきて落つ

三ヶ島は、木に体を預けて雨の雫を手で受け止め、春の雨によって、ケヤキの梢から落ちる輝く雫の様子を詠みました。彼女の作品は自然・生活・自分自身の心を自分の思うままに詠んだ歌に定評があります。

 

中氷川神社を出発して茶畑を眺めます。所沢高校でもマイプロジェクトの中で狭山茶を使ったスイーツを開発するなど、所沢市のまわりに茶畑はたくさんあります。しかし、クラスで聞いてみると急須を使って茶葉からお茶を淹れる人は、かなり少なくなったようです。ペットボトルでお茶を飲むのも美味しいですが、ときには急須を使ってのんびりとお茶を淹れ、ゆっくりとした時間を楽しむのもいいですね。

先ほどご紹介した、砂川堀です。流れはかなりゆっくりで、令和の時代の流れとは逆行しているようです。

こちらが台地です。写真ではあまり角度がわかりませんが、まわりより一段高くなっています。そして反対側は一段低くなっています。目の前には狭山茶の畑が広がっています。


 <武蔵野台地について>

 午後からは講義となり、正田先生と元早稲田大学自然調査室教授の大堀先生という方からお話を頂きました。武蔵野台地は武蔵野扇状地とも言い、浸食をしつつ堆積をして形成されてきました。狭山丘陵を作っているのは先述した通り、芋窪礫層です。腐礫(くさりれき)という風化しやすい作りになっているそうです。その下には狭山層という層が含まれ、入間川の方に向かえば仏子層という層につながっています。この様子はスタジオジブリが制作した映画、「となりのトトロ」のモデルになったともいわれています。狭山丘陵は段丘地形といって階段状の地形から成っています。このような階段状になる理由は、気候の変化によるものです。ここ260万年の間に、地球は幾度かとても寒くなる「氷期」と温暖化が進む「間氷期」を繰り返しました。氷期にはたくさん雪が降ったり水が凍ったりして陸上に氷河がありました。この際海面や茨城県北西部の古河地区や東京湾のあたりが沈降しましたが、やがて「間氷期」になるとその氷河もとけて水になります。海水は上昇し、関東山地の隆起もあって次の図の階段のような地形ができました。

多摩面とよばれる狭山丘陵が属する部分、下末吉面と呼ばれる所沢市街が属する部分、立川面と呼ばれる主に東京都立川市付近の北西ー南東方向に延びる地域が属する部分、武蔵野面と呼ばれる埼玉県南東部~東京都にかけて伸びる地域が属する部分の4つです。所沢高校には下末吉面の上に建っているのですね。このほかに武蔵野台地の植物の分布や当時の人びとの生活様式などについても話を聞きました。地学部としては地層をより詳しく知り、民俗的な歴史も知ることができました。解説していただいたお二人の先生方、ありがとうございました。


<まとめ>

 今回の狭山丘陵でのフィールドワークは、狭山丘陵の概要、武蔵野台地の成り立ちを知るとともに、私たちが通う所沢の周辺の地層やかつての風景を知ることができたものだったと思います。新型コロナウイルスの影響で部活が休止になっていることもあり、屋外で自然とふれあって地面に潜むロマンを感じる機会も少なくなっているのですが、いずれまた別の地域のことについても調べてみたいと思っています。まだまだ身の回りにも知らないことがあふれていますから、自分にとって関係のないような分野でもかんたんなことなら理解できることもあります。難しいことを徹底的に研究するのも調査の醍醐味の一つですが、知識的なことを軽く頭に入れておくだけで、普段の生活に少し充実感が加えられるかもしれません。コロナ渦で外出しづらい今ですが、感染対策を徹底して自然とふれあってみてはいかがでしょうか。


(コロナウイルス対策)

今回のフィールドワークでは、以下の事項を徹底して行いました。

  1. 部員は自宅を出発する前に検温を行いました。
  2. 移動先での手洗いをこまめに行いました。
  3. なるべく観察するとき以外は密集しないように気を付けました。
  4. マスクを着用し昼食はソーシャルディスタンスを保ってとりました。
  5. 現地との移動は公共交通機関を極力使わないように計画しました。

※現在、所沢高校では一部の大会前の部を除き部活動は休止しています。

北風吹く夜の空を見上げて

 みなさん、こんにちは。地学部です。ここのところ何度もホームページに記事を投稿していますが、現在はコロナウイルスの影響で部活動は休止となっています。このページを書いている人がかなり忙しかったため、2学期の出来事を今ごろになって掲載しているになります。古い話で申し訳ありません。

 さて、今回の記事では2020年12月17日に行った天体観測と称した部員の望遠鏡の操作練習の様子をご覧いただきます。所沢高校の3号館4階にある地学室には天体観測にまつわる道具もたくさん置いてありまして、望遠鏡もそのうちの一つです。文化祭になると入り口近くに展示したりしておいでになった方にお見せしたりするのですが、今年は文化祭が中止となってしまったので、ここで使っている様子を紹介しようと思います。

所沢高校の屋上から南方向を望むとこんな感じです。写真のやや左上にぼんやりとですが富士山が見え、その右側にはおよそ4km離れたメットライフドームの灯りが見えています。

午後5時過ぎ、望遠鏡の準備をしていろいろなところを見てみます。あちこちに星がありますが、望遠鏡に付属している機械を使えば、望遠鏡が目的の星の方角に向いて観察をサポートしてくれます。望遠鏡の準備についてはここでは書きませんが、部員も最近観察していないものであいまいになってしまいましてかなり時間を要しました。望遠鏡の機械を使うために方角を合わせるのですが、かなり難儀でした。

キャノン株式会社の一眼レフカメラで撮影した月の様子。

 

ビクセン株式会社の望遠鏡で撮影した月の様子。およそ三日月の形です。

少しカメラの明るさを調整しました。一眼レフカメラを望遠鏡に取り付けて撮影しています。

次はどの星にしようかな

あぁ、撮影に失敗...

真ん中に薄く映っている星を撮影したかったがやや距離が遠く断念。なかなか撮影が上手くいかなかったです。今回は極寒の北風が吹く中で行ったので、このままだと風邪をひいてしまいそうでした。冬の大三角の星も見つけましたが、撮影には至らず。冬休み前という時期でしたが、相当寒波が押し寄せていたのでしょう。今回の観察はここまでとなりました。これではあまり内容が充実していないので、2019年に撮影した土星の写真がありましたのでこちらも公開したいと思います。

輪があるのがわかりますか?土星には輪があるわけではなく、実際には小さな粒子で氷と塵が混じっていると考えられています。

地学部では部活動が再開したら、これからも定期的に星空の観察をしてみようと思っています。天体に興味をお持ちの方もぜひ地学部にお越しください!ちなみに地学室では教室後方のプラネタリウムでいつでも星空を眺めているような気分を楽しむこともできますよ。