日誌

地学部 活動記録

所沢高校食堂建て替えに伴う地盤調査

おしらせ

  • 当記事では諸説ある(未確定な)内容について言及しておりますが、今回は5万分の1地質図「青梅」(2007)を参考にしました。
  • この記事では専門的な用語が出現します。その説明はこのページの一番下に注釈として簡単にまとめてあります。

2020年11月9~13日に、本校の希望の鐘(合宿所)前で地質調査が行われました。

(職人の名前、電話番号は消してあります)


はじめに―本校の食堂

 なぜ地質調査が行われたかというのはタイトルの通りですが、詳しく言うと、現在の食堂(の建物)は耐震基準を満たしていないということで、建て替えることになったようです。この建物は1970年完成で、今まで1度も耐震補強はされていません。ちなみに1970年の出来事は、大阪万博や三島事件、ビートルズの解散だそうです。

↑現在の食堂。

 そんな食堂ですが、厳密にいうと建て替えというより移設するようです。ではどこに建てるのかというと、それがこの調査現場です。かつて講堂があった場所には現在、希望の広場と称する人工芝区域がありますが、それを半分はがし、そこに建てるようです。「わざわざ食堂を移設しなくても、壊した場所に建てるだけでいいじゃないか」という意見もあるかもしれませんが、この食堂は定時制の生徒が給食をとるのに使っています。壊してから完成するまでの間食べる場所がなくなってしまうため、移設となったのかもしれません。人工芝もかなりへたってきているとはいえ、まだできて3年ほどしか経過していませんが・・・。
 食堂を解体した跡地をどうするのかは不明です。

↑校内配置図。

↑現在の状態。オレンジ色の柵の所が調査場所。

 

↑在りし日の講堂。2016年合格発表の時の様子(発表を見に来た人がたくさん写っていたため、編集)

 一方、3号館は1962年、部室棟は1966年、体育館は1968年と、こちらもだいぶ年季が入っていますが、建て替えの予定はありません。


地質調査―ボーリング

 地質調査にはいろいろな方法がありますが、今回はボーリング調査が行われました。ボーリング調査(もしくは標準貫入試験)というのは、地盤の固さを求めつつ地中の土砂を採取し、地盤改良の必要性を調べるものです。ちなみに、重いボールを投げて10本のピンに当てるゲームは「ボウリング」です。
 この調査は、既定の重さの筒を打ち込み、ある深さに到達するまでの打ち込んだ回数を計測するものです。この回数はN値と呼ばれ、ふつう深さ1mごとに計測します。N値が大きいほど固い地盤を意味し、N値が50以上、5m以上連続する層になるとその地層は「支持層」と呼ばれ、マンション等大きな建築物の建設ではこの層を支持地盤とします。なお、一軒家ではN値は5以上あればよいようです。
 ちなみに、ボーリング調査は費用がかなりかかるので、一軒家を建てる際は普通行われません。代わりに、より簡便なスウェーデン式サウンディング試験などを行いますが、これは鉄の棒を地面にねじこむもので、地下の土砂は採取できません。

↑ボーリングマシーンの全景。

↑ボーリング調査の穴。当然既に埋められているので、現在調査箇所を見てもなにもありません。


ボーリング試料

 今回は当部の顧問が業者と交渉して、試料を得ることができました。試料は1mごとに計18本あります。これらは地学室の富士山の模型付近に並べてありますので、興味のある人は実際にご覧になるといいと思います。

↑ボーリング試料。この写真では、左上→右上→左下→右下 の順に地下1mから18mまで1mごとに並んでいる。

 これを見ると、1m付近の表層では真っ黒です。これは、黒土、腐植土、黒ボク土などと呼ばれ、腐植(後述)を20%以上含むものを言い、今から1万年ほど前の縄文時代から現在にかけて堆積したものです。黒土は当地だけでなく、本校周辺の広い範囲で表層として分布していて、特別なものではありません。皆さんの家の庭の土も黒いと思いますが、まさにそれです。
 黒土の成り立ちは、この層(腐植土層)が堆積した7~1万年前は最終氷期以後の温暖な気候で、植物に適した環境でした。そのため当時の表層であるローム層(後述)の上に植物が育つようになります。やがてそれは枯れて分解され「腐植」となり、それにまた火山灰などが堆積することでできます。黒土が黒いのは、この腐植によるものです。腐植が多いほど土は黒くなり、養分も多くなります。そんなわけで黒土は農作物の栽培に向きますが、柔らかく地盤沈下しやすく軟弱なため、建物の基礎としての地盤には向きません。

 3m以降では、だんだんと色が明るくなっていくのが分かります。これは、ローム(ここでは関東ローム)または赤土と呼ばれ、シルト、粘土の含有割合が25~40%程度の土を指します。この層(関東ローム層)は、富士、箱根、浅間、赤城などの関東周辺の火山のテフラが堆積したもので、堆積年代が古い順に、多摩ローム層、下末吉ローム層、武蔵野ローム層、立川ローム層の大きく4つに分けられます。多摩ローム層は70~12.5万年前、下末吉ローム層は12.5~7万年前、武蔵野ローム層は7~4万年前、立川ローム層は4~1.2万年前に堆積したと考えられています。なぜこの4層に区分しているかというと、当初各ローム間には数万年単位で時間間隙がある、つまり不整合な関係と考えられていたためです。のちに各ローム層は基本的に整合関係だとされました。このため各ローム層の境界に意味はありません。
 関東ローム層は、火山が噴火しそのテフラが直接堆積するか、別の場所に堆積したものが風で吹き飛ばされてそれが堆積(二次堆積物)するかしてできます。このため、火山が噴火していない時でもわずかに―つまり現在でも―堆積し続けています。ローム層が赤茶色っぽいのは、ロームに含まれる鉄分が風化により酸化したためです。ロームは養分が少ないため農作物の栽培には不向きで、一般的に嫌われますが、強度はやや高いため一軒家ではこれが支持地盤になります。逆に、ローム層がすぐ出てこない場合は、一軒家であっても出てくる深さまで地盤改良をする必要があります。

 11m以降では礫が見られるようになります。これは所沢層という礫層であり、14~13.5万年前に堆積したと考えられています。この礫が河原の石と考えると、所沢層はかつての多摩川の跡でしょう。
 礫層はN値が50を超える固い地盤が多く、これが支持層になるというわけです。

 最後の18mでは、もはや岩をただ円柱形にくりぬいただけのように見えます。これも上と同じ礫層と思われますが、今までよりさらに固くなっているため、これ以上の掘削は行わなかったのでしょう。

 どのような建物を建てるのか分からないため、食堂を建設する際どの深さまで地盤改良をするのかは不明です。


本校グラウンド裏の崖の地層

 話は変わりますが、本校グラウンドの裏には崖があります(地形図)。なお、ここは近くの永源寺という寺の敷地であり、本校のものではありません。

 5万分の1地質図「青梅」(JPEG4.2MB)を見ると、ちょうどこの崖で所沢層が切れています。先ほどの試料から、所沢層は崖の上の地表の地下11m以降に広がっていると分かりました。この崖は高さ12.6mであり、崖下の地面~地面から1.6m付近で所沢層が観察できます。

 地質図の説明書(PDF45MB)によれば所沢層の上位には下末吉ローム層があるようです。その上に武蔵野ローム層、立川ローム層、腐植土層と続くわけですが、やはり観察できません。さらに、武蔵野ローム層は鍵層の東京軽石層を挟んでいるものの、これは崖下の地表より8.7m付近と、崖を登らねばならないため観察できません。

↑本校グラウンド南西方向下にある崖。左端に見えるのが永源寺。

↑ 崖の模式的な断面図。赤線が東京軽石層。各層の厚さは考慮していない。

 沖積面、下末吉面など武蔵野台地の河岸段丘関連の話は「秋晴れの狭山丘陵周辺を巡る」という当部の記事と一部ダブっていますので、そちらをご参照ください。


まとめ

 崖を観察してみると、ボーリング調査の試料通り、所沢層がありました。ボーリング調査の方は、そのうち県に柱状図と正式な試料が納められるようなので、機会があれば見たいと思います。

 なお、本校ではかつて別件でボーリング調査をしたらしく、その柱状図が公開されています(PDF291KB)。詳細な情報はすべて消されているため、正確な位置等詳しくはよく分かりませんが、柱状図自体は完全なデータなので、興味があれば今回の試料と比べてみてください。


注釈

  • 最終氷期・・・現在のところ最後の氷河期で、一般で言ういわゆる「氷河期」。
  • 地盤改良・・・杭を打つ、固い土壌に置き換えるなど様々な方法があるが、一般的にそれなりに費用がかかる。
  • 多摩ローム層・・・本来はさらに多摩Ⅰ、多摩Ⅱに細分化される。
  • 下末吉・・・神奈川県横浜市鶴見区の町名。
  • テフラ・・・溶岩以外の火山噴出物、具体的には火山灰など。
  • ローム・・・ロームの定義はシルト+粘土の含有割合だけなので、堆積物がテフラかどうかは関係ない。関東ローム層の堆積物がたまたまテフラであったというだけ。
  • シルト・・・砂より小さく粘土より粗いもの。日本語では「沈泥」。
  • 地質図・・・地質の分布を表したもの。なお、「青梅」の範囲の地下にはほぼローム層があり、地質図にそれを表すと、ローム層だらけの図になるので、それは省略しより下位の地層が表現されている。
  • 東京軽石層・・・箱根東京テフラ。箱根火山の由来で、噴出は 6~6.5 万年前。